今日は3月11日(3.11)。
2011年に東日本大震災が発生した日です。
あれから13年。
時の流れは速いと感じます。
これは、被害にあわなかったからなのかもしれません。
13年前の3月11日14時46分。
東京都内のビルの11階にいました。
最大震度は5強。
けっこう揺れましたが、大丈夫だろうと思っていました。
「正常性バイアス」の典型でしたね。
実際は大丈夫ではなく、JRや地下鉄は運休となりました。
電話やインターネットはつながらず、家族が無事だったことを確認できたのは、夕方5時くらいだったと思います。
自宅まで30キロ以上あったので、早々に帰宅をあきらめ、会社に泊まることにしました。
人の考え方はいろいろです。
20キロの距離を歩いて帰った人もいました。
バスなら動いているはずと、乗って帰ろうと行列に並んで、結局あきらめて会社に戻ってくる人もいました。
いまは東京都の条例で、一斉帰宅抑止が努力義務になっています。
福島第一原子力発電所についても、「正常性バイアス」が働いてしまいました。
悲観的なニュースを信じず、楽観的なニュースを見つけて、自分を納得させていました。
妻は関西に避難したいと言っていましたが、そんなことまですることあるの?と聞く耳もたず、でした。
何が正解だったのか?
子どもたちの身体への影響は、今後出てくるかもしれません。
そうなったとき、後悔するのかもしれません。
飲み水や食べ物についても、妻は本気で気を配ってくれました。
スーパーの浄水器を通せばかなり安心。
ハワイウォーターというウォーターサーバーを入れました。
食べるものは西日本のものを徹底。
いま思うと、この徹底ぶりは本当にありがたかった。
関西への避難はしなかったけど、子どもたちへの身体への影響はかなり軽減されたと思います。
自分には宮城と青森に親戚がいますが、亡くなった方はいませんでした。
生活面でも、比較的早く復旧をしていました。
関東でも計画停電が行われていましたが、私が住んでいる場所が、たまたま駅への電力の通り道だったらしく、計画停電も経験せずに済みました。
関東在住の中でも、比較的影響を受けなかった部類だと思います。
とはいえ、あの時に感じたことというのは、忘れてはいけません。
テレビ番組で、高校生の語り部を特集しているのを見ました。
その高校生は震災当時5歳。
地震が起きたら、「なるべく遠くへ、なるべく高いところへ」というのは、一度は聞いたことがあるけれど、
どこか自分ごとではない気がします。
語り部のような、実際の体験を生々しく語ってくれる人の存在は必要だと強く感じました。
今年の1月1日に発生した能登半島地震に対してもそうですが、自分にできることを、できる範囲でやらなければならないと思います。
実際に現地に赴いてボランティア活動している人には頭が下がります。
自分にはそれはできないので、できる範囲で寄付をしました。
常に被災地を思うことができれば最高なのでしょうけど、自分の日々の生活もあるし、なかなか難しいです。
なので、このような節目の日に、思いついたことをやればいいのではないかと思います。