日曜日の朝。
目覚まし時計の音ではなく、外から聞こえてくる鳥のさえずりや、遠くの電車の音で目を覚ます。
ゆっくりと起きて、カーテンの隙間から差し込む柔らかな光に「今日が日曜日であること」を感じるこの瞬間が、なんとも心地よい。
平日はどうしても、時間に追われてしまう。
朝は慌ただしく、パンとコーヒーで済ませる日もあるし、下手をすれば何も口にしないまま出勤することもある。
だからこそ、週に一度の「日曜の朝」は、少しだけ立ち止まる時間として、自分の中で大切にしている。
豆腐とわかめ。変わらない朝の味
そんな私の小さな習慣が、「味噌汁をつくる」ことだ。
具材はシンプルに、豆腐とわかめ。
冷蔵庫にあれば、玉ねぎを薄くスライスして加えることもあるが、基本はこの2つ。あれこれ手を加えすぎないのが、この習慣の肝だ。
だしは、本当は昆布とかつおで丁寧に取りたいところだけれど、最近は便利なだしパックに頼っている。
とはいえ、それでも十分においしいし、何より「自分の手で作る」ことに意味があるように思う。
豆腐を切り、だしの中にそっと落とす。
乾燥わかめは水でもどしてから、火を止める直前にさっと加える。
味噌はお気に入りの合わせ味噌。茶こしで溶きながら、香りが立ち上る瞬間を楽しむ。
ほんの数分の作業だけれど、そのひとつひとつが、朝の心を整えてくれる。
料理というより、心を整える時間
味噌汁づくりは、料理というより「呼吸」だ。
スマホもテレビもオフにして、静かなキッチンで一人、火の前に立つ。
野菜の切れる音、沸騰する湯の音、ふわっと立ち上る味噌の香り。
それらがゆっくりと、自分の内側に溜まっていたざわつきを溶かしていく。
特に50代になってから、こうした「小さな整え時間」のありがたみを強く感じるようになった。
若い頃のように無理はきかないし、気力も体力も波がある。
だからこそ、心と体を同時に「戻す」ような時間が、暮らしの中に必要になってきたのだろう。
味噌汁は「日常の支え」
味噌汁というのは、日本人にとって特別な料理だと思う。
どんなに豪華なおかずが並んでいても、最後に味噌汁があるとホッとする。
逆に、具だくさんの味噌汁一杯だけでも、なんとなく「ちゃんとした食事をした」と思える。
味噌汁には、身体だけでなく、心も包み込むようなやさしさがある。
特に朝にいただくと、体がゆっくり目を覚まし、心もふわっと軽くなる。
湯気の向こうに、穏やかな一日が始まる予感がするのだ。
「ちゃんとしすぎない」がちょうどいい
この習慣を始めたのは、数年前。
週末にふと「ちゃんと朝ごはんを食べてみよう」と思ったのがきっかけだった。
最初は凝った朝食を用意したりもしたが、気がつけば「味噌汁だけでも充分だ」と思えるようになった。
ポイントは、「ちゃんとしすぎないこと」。
完璧を求めず、少しでも自分の心と向き合う時間を持つこと。
それが、50代からの暮らしにはとても大事なんじゃないかと思っている。
今日も、穏やかな一日でありますように
味噌汁をゆっくりとすする。
湯気越しに、庭の緑がぼんやりと揺れているのが見える。
新聞を取りに行った家族の足音が、遠くから聞こえてくる。
そんな何気ない風景に、なんだか満たされた気持ちになる。
忙しい日々の中で、こうして「何もしない時間」を持つことは、案外難しい。
でも、味噌汁をつくるという小さな習慣が、それを叶えてくれる。
今日も、心が少し整った気がする。
どうか、いい日曜日になりますように。
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